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昭和30年代、 佐渡でトキが飛んでいました。


■トキを調べた 佐藤春雄さん
04 佐渡で生まれ高校の先生をしていた佐藤春雄さんは、1946年からトキのことを調べはじめました。
1947年11月にはじめて生きたトキに出会いました。それから、毎日、暑い日も寒い日も山に通ってトキを探し、遠くから観察を続けました。
そして、トキが絶滅しかかっていることやトキを守ることが自然や命を大切にすることにつながると、トキを守るために佐渡の人々や新潟県、 国などに呼びかけました。
佐藤春雄さんは、30年以上ものあいだ自然のなかでトキがどんな暮らしをしているかを調べました。
佐藤さんの調査とトキを守る呼びかけがなかったら、トキのことをくわしく知らないままに、トキは絶滅していたかもしれません。


【佐藤さんが調べたこと】
トキには羽が白いトキと灰色のトキがいると思われていました。佐藤さんは、 白いトキが2月ころに自分の体から出る黒い汁を羽にぬっていることをつきとめました。こんな化粧をする鳥は世界でトキだけです。
佐藤さんは、トキの糞を調べました。糞を調べると、何を食べたかわかります。
トキは肉食でドジョウやタニシ、アカガエルや、サワガニ、バッタなどを食べていました。
佐藤さんは明け方から山でトキを観察しました。トキが夜明けに田んぼなどでエサをとることや、 子育てはカップルで奥山の高い木の上に巣をつくり、一緒に子育てをすることがわかりました。


■トキにエサをあげた 高野さん親子
05 高野高治さんは、佐渡の生椿地区という山の中で農業をしていました。トキが田んぼに来ると 「おなかをすかしているんだから、追い払っちゃいかん」といって、仕事をやめ、遠くで見守ったり、トキがエサを食べられるように、 いつも田んぼに水をいれてドジョウを育てていました。
高野高治さんは、トキが佐渡トキ保護センターで保護されたあとも、トキのためにドジョウを育て、毎日歩いて山をこえ、 夏も冬もたくさんのドジョウを運んでいました。
高野毅さんは、高野高治さんの息子で、子どものころからお父さんの手 伝いをしていました。今も亡くなったお父さんの考えを守って、 いつでもトキが空を飛べるよう田んぼやトキのエサ場をつくろうとみんなに呼びかけています。

 

■最後のトキ、キンちゃんの友だち 宇治金太郎さん
061967年8月に佐渡の真野町に野生のトキが1羽飛んできました。トキ観察員の宇治金太郎さんは、 毎日エサを持ってトキが飛んでくるのを待ちました。やがてトキは宇治さんを信用するようになりました。そして、 世界ではじめて野生のトキが人間の手からエサを食べるようになったのです。
1968年、トキの保護と数を増やすために友だちになったトキをトキ保護センターに届けるよう頼まれます。
宇治金太郎さんは、野生のままがいいのかもしれないと、なやみながらも、トキを保護しました。
このトキは、宇治金太郎さんの名前をとって「キン」と名付けられました。その後、1981年に最後の5羽の野生トキが保護されましたが、 みんなキンちゃんより先に死んでしまいました。キンちゃんは、日本の野生で生まれた最後のトキです。2003年に36歳で死にました。 人間でいうと100歳をこえる年です。宇治さんは、1984年に亡くなるまで、日本生まれの最後のトキ、キンちゃんと、 トキの将来のことを思い続けました。

 

[ 2006年03月08日 | トキを学ぶ ▼ひとつ前へ戻る ▲ひとつ次へ進む ]